船行集落概要

世帯数 151 人口260人 (2017.12末現在)

・屋久島の東部に位置する集落。「フナユキ」と読む。
・151世帯 260人(平成29(2017)年12月末日)
・ミノ岳(別名船行前岳、標高943m)と明星岳(標高651m) の裾野に広がる、南北約1.2km、東西約1.5kmの比較的面積の小さい集落である。北の平地川と南は船行川が隣接区との境となっており、ほぼその中央部に人家が密集している。山手も海手も小牧地区とよばれる地区以外はほとんど山林となっている。
・「屋久島の北海道」と称されているほど寒い地域と言われる。「フ ナユキ」の語源も、「昔、船を造っている時、大雪が降って積雪の重さで船が割れたため」だと伝えられている。
・昔はこの寒さを利用して「寒づけ」と呼ばれる干し大根が良く作られていたが、気候が温暖になった為か作ってもカビが発生してしまうため、現在ではほとんど作られていない。
・地名の初出は明暦3年(1657)頃に作成された「屋久島大絵図」である。正徳2年(1712)作成の「和漢三才図会」には「舟行」と記されている。
・享保11年(1726)に男56人、女45人の計101人が居 住、馬16頭、畑約1町八反の記録がある。
・集落の歴史は古いが畑もわずかで良港もない為、山稼ぎが主産業で あったと思われる。島内で唯一境内に樹齢700年の大杉が立ちならび、山の神である大山祀神を祭る船行神社がある事から、山の関わりの深さを知ることが出来る。
・永久保区は昭和26年に船行区から分村した。分村する前年の船行区の人口は575人であった。

【参考文献】
1. 屋久町郷土史第3巻 村落史 下
2. 区長他、住民の聞き取り