栗生集落概要

世帯数 277 人口471人 (平成29年10月末日)

・屋久島の南西端に位置している。
・宮之浦岳を源流とする栗生川の河口近くに開けた集落。
・冬には季節風が吹くが、温暖な気候に恵まれており、屋久島では雨量の少ない地域。
・山が海に迫っており、河川の谷も深いので平地が少ない。
・縄文、弥生期の土器が出土しており、河口に近く採取生活適地だったことが伺える。
・歴史初見は1544(天文4)年、安房とともに種子島家譜である。
・琉球に至る海上交通の要衝であり、1612(慶長17)年には薩摩藩直轄地として代官が置かれ、唐通事(通訳官)も配置された。
・江戸期から大正初期までカツオ漁の基地として栄え、全国に知られた鰹節産地だった。
・1822(文政5)年の江戸の全国鰹節番付では「役島節」の名で大関、明治時代には全国水産博覧会で上位入賞が記録されている。
・1897(明治30)年から昭和30年代まで、一時中断があるものの鹿児島との間に定期船が就航していた。
・明治30年代にカツオ漁は衰退したが、トビウオ漁が昭和30年代まで続き、一時は100艘ものトビウオ船があった。
・しかし、漁業の衰退に加えて昭和40年代の国有林事業縮小もあり、昭和初期には1900人を超えた人口も減少している。
・今は勤め人が多いが漁業の伝統も受け継がれており、近海やトカラ列島方面に一本釣りに出漁している。
・人口の増減をみると1726(享保11)年569人、最大が1929(昭和4)1,950人、1970(昭和45)年989人。平成になってから江戸時代中、後期並みと思われる。

【文献・資料】
1 屋久町郷土史第1巻村落誌上 2 区長他、住民の聞取り

【写真タイトル】 x000001)栗生川と栗生地区