麦生集落概要
世帯数 171 人口304人 (2019.2現在)
・屋久島南部にあり、171世帯304人(令和2年2月1日)が 暮らしている。
・前岳トイモ岳1054 m の裾と屋久島東、南部を特徴づける段丘 海岸の間が麦生地区である。
・温暖な気候に恵まれ、季節風の影響を受けることもなく屋久島一 番の農業適地である。
・1950(昭和25)年には国内最温暖地として農林省蚕種試験 場屋久島飼育分場が設置された。
・前岳裾や東部の傾斜地は島内有数のポンカン、タンカン栽培地に なっている。
・西部の段丘海岸の上には平地が広がり、屋久島有数の水田地帯に なっている。
・中小河川沿い各所で縄文期の石器、土器出土があり、古くからの 居住が確認されている。
・明暦(1655~1657年)頃の屋久島大絵図に麦生の村名が ある。
・1726(享保11)年内検資料にはカツオ船2隻の記録があ り、カツオ漁と焼き畑農業(切替畑)、山稼ぎの暮らしがしのばれる。
・明治末期にカツオ漁が衰退し、トビウオ漁と多様な農業生産、山 仕事の時代になる。
・明治40年代に鯛之川からの導水により、下之牧に水田が開かれて 水稲作が実現した。
・甘藷やサトウキビ栽培もおこなわれてきたが、その後ポンカン、 タンカンが導入され、農業を基幹産業として現在に至っている。
・第二次大戦後、切替畑地域であったホートー川以東の開拓が始まり、1958(昭和33)年に高平区として分離されて麦生区は鯛之川とホートー川の間となった。
・人口の増減をみると、1726(享保11)年123人、1897(明治30)年292人、最大が1955(昭和30)年の518人、その後1990(平成2年)は260人と記録されている。
・何処でも人口減少傾向にあるが、麦生では自然を求めて転入してくる人やホテルの開業もあり、人口は増加傾向にある。