墓地・寺院・遭難碑
概要
共同墓地
・栗生浜の松林の後背地、旧栗生中に隣接して集落より一段高いとこ ろに共同墓地がある。
・町指定有形民俗文化財になっており、元禄時代から今日にいたる300年間の土葬時代の墓石が1000基以上ある。
・栗生住民、流人、役人、寺の歴代住職等、墓石の種類も豊富で、祠堂型墓石や五輪塔も多く、宝篋印塔もある。
・形式も多様で宗教や時代状況を読み取れる手がかりが豊富で、歴史的価値は大きい。
・南島航路やカツオ漁業で繁栄した栗生を物語る遺跡である。
妙照山 本寿寺
・1480年代末(長享年間)日増上人来島後の創立と伝えられている。
・1869(明治2)年、廃物棄却により廃寺とされた。
・1881(明治14)年、本寿寺復興再建、本門法華宗栗生説教所とする。
・1947(昭和22)年、妙照山本寿寺創立。
・境内の小石塔の一つはお産の神様と伝えられ、今も花が供えられている。
七宝山 大照寺
・1865(慶応1)年、カツオ船建造のために栗生に来た喜入の棟梁が彌陀絵像を礼拝したのが、栗生の真宗の始まりとされる。
・1887(明治20)年、真宗西大谷派説教所が開設された。
・1909(明治42)年、寺院として許可された。
・1962(昭和37)年白百合保育園を開設、地域の子育てにも貢献している。
遭難碑 栗生小竜巻遭難
・1929(大正4)年2月26日9:30頃、竜巻により栗生小学校の校舎が倒壊して、一時限目授業中の児童9人が死亡した。
・一年後に追悼の記念碑が建立された。
・命日の2月26日に集落役員らが、周囲を清掃して供養のお参りをする。
*平成29年は2月22日に清掃、24日に供養を行った。
【資料】
1 屋久町郷土誌第一巻村落誌上
2 屋久島町文化財記録 教育委員会
3 屋久島、もっと知りたい ~人と暮らし編~ 下野敏見 4 区長他聞き取り