高平集落概要

世帯数 87世帯 人口169人 (平成30年11月末日)

・屋久島の南東、島で最も海に近い前岳である高平岳のすそ野にある集落。
・比較的季節風が弱く温暖な気候に恵まれているが、南部としては雨量が多い。
・山すその海岸段丘上にあって平地は狭いが灌漑施設が整い、果樹栽培や稲作がある。
・1657(明暦3)年屋久島大絵図では麦生村内ながら、現高平地内の山や川の名称が見られる。
・1726(享保11)年薩摩藩内検資料では麦生村の畑地利用として現高平地内の字名がある。
・当時の耕作は、原野を拓いて数年ごとに移動する切り替え畑であったと思われる。
・戦前は3戸しかなかった現高平地区だが、第二次大戦後の開拓推進の一環として、1949(昭和24)年に開拓希望者24名により開拓農協が設立された。
・開拓農協設立時の協議の結果、麦生村の信仰の山であった高平岳(高平権現)の名をとって高平開拓農協とした。
・1958(昭和33)年に開拓農協解散し、麦生区から分離して36戸の高平区が発足した。
・開拓当初はカライモやサトウキビ栽培だったが、昭和50年代からは ポンカン、タンカン生産が中心になっている。
・高平区になってからの人口最大値は1960(昭和35)年の41 世帯193人、最小値は1975(昭和50)年の25世帯98人となっている。
・1985(昭和60)年前頃から開拓第二世代のUターンがあり、さらに自然を求める転入者も多く、徐々に人口は増加している。

【文献・資料】
1 屋久町郷土誌第二巻村落誌中
2 高平開拓50周年記念誌「あゆみ」 平成10年高平区3区長他聞取り

【写真タイトル】
p000000001)高平地区中橋方面
p000000002)高平地区

【写真コメント】
p000000001)高平地区中橋方面高平岳山頂からフカン。
p000000002)高平岳山頂から俯瞰(平成10年5月撮影)。