小瀬田集落概要

世帯数 226世帯 人口429人 (平成30年11月末日)

・屋久島の北東部に位置する集落。「コセダ」と読む。
・226世帯 429人(平成30(2018)年11月末日)。明治23年(1890)には、男131人、女134人の計265人、 昭和35年には131世帯562人が住んでいた。
・小瀬田は「渡辺」「永綱」「新田」姓が多い。
・愛子岳(標高1 , 235m)の裾野に広がる集落である。西の椨川と東は女川が隣接区との境となっており、ほぼその中央部に人家が密 集している。
・冬季は北西風が当たるため、島内でも特に寒い地域と言われている。
・地名の初出は明暦3年(1657)頃に作成された「屋久島大絵図」である。正徳2年(1712)作成の「和漢三才図会」には「古世田」と記されている。
・小瀬田の墓地には鎌倉時代からあると伝えられている墓石があり、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人が吉田村に上陸後、何人かが供養石村(安房の春田浜海岸)に住んでその後大いに発展したが、津波や大洪水に見舞われて海岸から遠く離れた長峰地区(長峰神社周辺)に移り住んだ。しかしある年、伝染病が大流行したために現在の小瀬田に移住した。移住した人々は子供たちを治療するために隔離して湯穴という大きな穴を掘り、その中で海岸から運んだ玉石を焼き、ツワブキ や樟脳の葉を蒸し焼きにして子供たちを消毒したという。このような言い伝えから小瀬田では海岸の玉石に感謝の意を込め、神社に参拝する際は海岸から玉石を拾いツワの葉を添えて供える独自の風習が、現在も行われている。
・長峰区は昭和28年に小瀬田区から分村した。

【参考文献】
1上屋久町郷土史/上屋久町
2町報かみやく/上屋久町
3小瀬田の伝統行事伝説方言録/小瀬田愛郷会
4区長他、住民の聞き取り

【写真キャプション】
h00000001)小瀬田集落

【写真コメント】
h00000001)ムカエ岳山頂から見た小瀬田集落。