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石除神社・光照寺・歯の神様

概要

<石除神社>
・昔、小瀬田は鹿が来て作物を荒し、どうにもならなかった。それで魔除けをお願いするために、権現様をイシノヨケに作ったという。その後、鹿はあまり来なくなった。昔は種ケ島まで見える良い場所だった。営林署の官舎の東側にホンタケの神様(権現様)が祀ってある。 ここはトコロヤクが管理をし、花を替えたり、水を替えたり、賽銭をあげたりする。(文献4)
・鳥居と石段を設け、祠をおいて、中に「大山津見命作神(おおやま づみのみことさくがみ)」と刻んだ石を安置して祀っている。祠の基礎のセメントには「昭和四十七年四月十四日」と彫られている。改築記念日と思われる。(文献2)
・敷地内に小瀬田共用林組合記念碑及び小瀬田共用林組合設立の経緯が書かれた石碑がある。

<光照寺>
・小瀬田公民館の敷地横に法華宗の本寺がある。楠川にある木蓮寺とともに宮之浦にある久本寺の所轄である。
・光照寺の裏手に「日喜新造院」と書かれた石碑があり、右横に「明 治八年十二月五日死」、左横に「建主小瀬田区」と彫られている。右に胴体を破壊された石像(明治に行われた廃仏毀釈で破壊された仁王 像か?)が、左に五輪塔、裏手に法華宗(日蓮宗)の戒名が彫られた墓石があり、墓石は蓮華が彫られた立派なものである。
・昔、光照寺の住職として日喜新上院という人がいた。そのころ、小瀬田の田や畑に猿や鹿がしばしばやってきて農作物を荒らし、村人は 手の施しようもなかった。村人の困惑を見て日喜新上院が祈祷をされたところ鹿や猿の侵入がなくなったとのことである。(文献3)

<歯の神様>
・小瀬田部落の海岸に石碑のようなものが立っています。これは昔、 島に歯のお医者さんがいなかった頃、歯の痛みに耐えかねた村人が、この石に色んな供え物をして、歯の痛みが止まるようにお願いしまし た。供え物の中の爪楊枝でその痛い歯をいじると、歯の痛みが止まっ たと伝えられている石が今も残っています。(文献5)
・椨川の小瀬田側の海岸沿い林の中にある石塔。高さ1.4メートル の屋久島御影石に「南無妙法蓮華経九品印日種(きゅうぽんいんにっしゅ)」と刻んである。(文献2)

【参考文献】
1上屋久町郷土史/上屋久町
2屋久島、もっと知りたい 人と暮らし編/下野敏見
3小瀬田の伝統行事伝説方言録/小瀬田愛郷会
4上屋久町の民俗/上屋久町教育委員会
5のびゆく上屋久町/上屋久町教育委員会
6区長他、住民の聞き取り

写真

石除神社外観

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海岸沿いに面した小瀬田神社外観。

記念碑

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小瀬田神社拝殿。

石除神社拝殿

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鳥居から海岸へ続く階段。

拝殿外観

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小瀬田神社本殿。

拝殿内部

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神社参道入口の鳥居は平成30年に建てられた。

刻まれた年月日

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小瀬田神社拝殿建設記念碑。

光照寺外観

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本殿改築記念碑。

光照寺の内部

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観音堂への参道。

日喜新造院碑a

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里山の中に祀られた観音堂への参道。

日喜新造院碑b

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南国の風情漂うビロウの中にたたずむ観音堂。

五輪塔

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観音堂の中に祀られている自然石の御神体。

壊れた石像

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里山の中に祀られた観音堂への参道。

法華宗墓石

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南国の風情漂うビロウの中にたたずむ観音堂。

歯の神様

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海岸沿いの林の中に建つ歯の神様の石塔。