二十三夜祭
概要
・十五夜ほど盛んではないが、全国的に行われる月齢による月待行事。
・昔は島中で行っており、翌朝の日の出まで飲み明かしたといわれるが、現在は日の入りから月の出までとなっている。
・本来旧暦の1月23日が祭りの日だが、タンカンの収穫時期と重なるため。小島では新暦1月28日に実施している。
・トコロカン(神の仲立ち役と思われるが、小島では「神様」と呼んでいる)2名を選ぶ。
・舞台上に笹を立てて縄を張って結界とし、絵姿の二十三夜様を祀る。
・結界にはトコロカンが入り、他の住民はその手引で二十三夜様に拝礼する格好になる。
*以下、平成31年1月28日の記録
・朝から担当班のメンバーが公民館で準備に取りかかった。
・平成31年の担当班は島外からの転入者が多く苦労もあったようだが、ベテランの手引きを得ながら、伝統の継承に努めていた。
・奥さん達は、二十三夜祭りに欠かせぬ餅と大根なますの他、お参りの人たちに振舞うかき揚や鶏料理、刺身の調理に取り組んだ。
・供え物は多種多様で分かりにくいので、前年担当班の写真記録で受け継がれている。
・供え物は以下のとおり。お神酒・米・塩・月形白、日型赤餅・赤餅12個・白餅12個・餅白365個・トコロ・赤魚(腹合わせ2匹)・ 根菜、葉菜・ミカン・大根なます。それぞれ三方に載せられる。
・結界の縄は左ない縄なので、経験豊富な他の住民がつくってくれた。
・11:00頃には公民館の舞台上に結界の縄が張られた。
・17:50頃、海を望む山の背にトコロカン2人が座り、曇り空の日の入りを拝んだ。
・18:00頃には公民館の二十三夜様に火を灯し、トコロカンが結界の中に入って拝礼した。
・担当班の班長がトコロカンにお神酒を注ぎ、居合わせた関係者一同が拝礼した。
・以降、深夜過ぎの月の出までトコロカンは結界の中に居なければいけないし、以外の人は中に入ることはできない。
・7時間余りの間に住民は三々五々お参りに訪れ、お神酒をいただいて飲みかわし、振舞料理をいただいた。
・1:40頃、結界を出たトコロカンが、東の空が見えるグランドの外側で月の出を拝んだ。
・公民館に戻って結界をはずし、トコロカンも他の人たちとともに大根なますを口にして、2:00頃に二十三夜祭はお開きとなった。
【参考資料】
1屋久町郷土誌第一巻村落誌上
2区長他聞取り
写真
公民館二十三夜様拝礼![]() 公民館舞台に結界縄を張り、二十三夜祭をおこなう。 |
二十三夜祭餅つくり![]() 担当班の奥さん達が朝から餅つくりなどにとりかかる。 |
公民館結界縄張り![]() 公民館舞台に、左ないの結界縄を張る。 |
山の背日没方向海![]() 山の背から日没の海が見えるが、あいにく曇りだった。 |
日の入り拝む![]() 日の入り拝むトコロカン。 |
日の入りお神酒![]() 担当班の班長が日の入りを拝むトコロカンにお神酒を注ぐ。 |
二十三夜祭供え物![]() 二十三夜祭の供え物は多種多様である。 |
月形日型餅![]() 二十三夜祭の特徴は月形日型餅。 |
二十三夜様絵姿![]() 二十三夜様絵姿をかざる。 |
トコロカンお神酒![]() 結界内に着席したトコロカンは二十三夜様に拝礼し、お神酒をいただく。 |
トコロカンご馳走![]() トコロカンのご馳走。 |
結界外の参拝者![]() お参りの住民は結界の外から、トコロカンと交歓する。 |
訪れる参拝者![]() 日の入りから月の出まで7時間余り、参拝者が三々五々訪れる。 |
一同飲みかわす![]() 二十三夜祭は長時間の宴席のようなもの、一同ゆっくりと飲みかわす。 |
参拝者振舞い![]() お参りに訪れた皆さんへの振舞い料理。 |
二十三夜様お参り![]() 二十三夜様参りに訪れた家族連れ。 |
月の出を待つ![]() 1:40出を東の空が見えるグランドの外縁で、月の出を待つ。 |
月の出を拝む![]() あいにく曇りだったが、時間を見計らって月の出を拝んだ。 |
月の出を拝む![]() 班長が、月の出を拝むトコロカンにお神酒を注いだ。 |
お開きは大根なます![]() お開きは大根なますの一皿。 |
お開きの席![]() 結界縄がはずされた公民館で、トコロカンもともに大根なますを口にした。 |