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オトド屋敷跡地

概要

・オトド、とは大臣・大殿/貴人の事を指す。
・天平勝宝4年〜6年・西暦752〜754年の第12次とされる遣唐使 は、その波乱に満ちた帰路に就いた中4隻中3隻が帰国に成功した。
・さらにその内2隻が、天平勝宝5年(西暦753年)旧暦12月7日に悪天候のため屋久島に寄港、鑑真は尾之間、吉備真備が原の鯛の川河口部に停泊し、その時この吉備真備一行が宿泊した場所が現在オトド屋敷跡(現在の海寿苑付近)とされている。
・特に屋敷の痕跡があるわけではない。そして、その時国外より持ち帰 られたのが原で代々育て繋げられているサトイモの一種「カワヒコ」だとも言われている。
・これはお正月に親芋をじっくり甘く似た物が季節柄の郷土料理として供されていたが、今も変わらず調理している家庭はごく限られている模様。「カワヒコ」は県の伝統野菜として登録されている。

【文献】 郷土史をはじめとした文献には現在紹介されておらず、基本的に口伝による。
2018年3月の「集落便りげじべぇの里」Vol.155 はるお今昔物語として文章化されている程度。

写真

オトド屋敷跡地

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オトド屋敷跡風景

オトド屋敷跡地

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現在は民宿(海寿苑)

オトド屋敷跡地

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栽培される里芋 カワヒコ