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ムカエ岳・喜三次川

概要

<ムカエ岳(向岳)>
・標高628メートルの前岳であり、小瀬田区と長峰区では年1回岳参り(長峰区は春、小瀬田区は秋に実施)を行っている。
・山頂手前には古い石祠があり「广王大権現」「奉寄進」と刻まれている。寛永通宝などの古い賽銭がある。
・山頂へは小瀬田区側からと長峰区側からの二つの登山口がある。どちらも登り片道2時間程度の行程である。
・山頂からは眼下に長峰区や小瀬田区を見渡せるほか、遠く宮之浦も見える。

<喜三次川(きそじがわ)>
・屋久島空港西端近くを暗渠として流れている小さな川である。
・「きそじがわ」と読む。民話の木曾次川と同一の川である。

<木曾次川の民話>
・大正のはじめごろ、指宿町川尻皆井川(現在の指宿市開聞川尻?) 出身の人で、屋久島の飛び魚の仲買人として、安房に泊まっている木 曾次という人がいました。その日、木曾次は小瀬田の飛び魚を買う為 に藤原勘助(区長)さんの家に行き、商談を始めていました。ちょう どその時、同じく指宿の隣部落の出身で仲買をしている伝太という人 も勘助さんの家に商談のために来ました。それからそこで商談があ り、二人とも落札しました。そして、その夕方いっしょに安房に変え ることになり帰路につきました。
 さて、伝太はさっきの商談のときに木曾次が大金を持っていることを見 ていました。「木曾次を殺してこの大金を手に入れよう」と恐ろしい ことを考えた伝太は、その決行の場所を平湖(川の名前)と決めまし た。平湖には橋が無く、まわりに木が茂り、見通しの悪いところだったからです。 二人で平湖を渡り出したとき、伝太は木曾次を先に歩かせました。 そして、持っていた石で木曾次の頭をめった打ちにして殺しました。 伝太は木曾次の死体を河下へ引きずり約100メートルぐらい下流の 淵に裸にして投げ入れ、衣服は近くの大きな石の下に隠し、大金をも ってそこを引き上げました。伝太は何食わぬ顔で宿に帰りましたが、 伝太の服に血が付いているのを宿の人が見ていました。 数日たって、永綱忠純という元学校の校長をしていた人が魚釣りに 行く途中、木曾次の死体を見つけ、伝太の人殺しが分かってしまいま した。それから、誰いうことなく平湖の川のことを「木曾次川」とい うようになりました。

【参考文献】
1上屋久町長峰区郷土史 あしあと/上屋久町長峰区
2区長他、住民の聞き取り

写真

ムカエ岳遠景

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中心の突き出た山がムカエ岳、右端に愛子岳が見える。

登山道合流地点

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ムカエ岳登山道のようす。合流地点。

祠正面

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正面から見た祠。

祠側面

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祠の側面には「奉寄進」と刻んである。

寛永通宝銭

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賽銭は現代のお金に混ざって寛永通宝もある。

ムカエ岳山頂

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低灌木が生い茂る山頂のようす。

長峰区全景

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登山道脇から見た長峰区全景。

愛子岳

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ムカエ岳から見た愛子岳。

喜三次川1

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空港下を流れ出る喜三次川河口付近のようす。

喜三次川2

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正面から見た喜三次川河口付近。

喜三次川河口

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川は小さな滝となって入り江に落ちている。