仁田鉱山
概要
・屋久島東部堆積岩地帯には、マグマに熱せられた熱水の侵入による石英脈があり、そこにタングステンなどの鉱床がある。
・平野地区でも明治末タングステン鉱脈が発見され、大正時代には手掘り採掘が始まった。
・1934(昭和9)年企業による本格的採掘が始まり、仁田鉱山となった。
・日中戦争以降は軍需が急増し、太平洋戦争時には従業員300人余、月産3t、国内第2位の生産を誇った。
・戦時中には、軍需施設とみなされた工場など附近一帯が米軍の爆撃を受けた。
・戦争末期の配給人員として、1945(昭和20)年の仁田鉱山807人の記録もある。
・時期はっきりしないが、花揚川を水源として鉱山の水力発電が行われ、屋久島で最初の電気がともったともいわれている。
・全国から多数が就業し、その後平野地区に定住した人も多い。
・戦後は一時休山するなど低迷し、1958(昭和33)年実質的に閉山した。
・森の中に大規模な坑道や発電用水路など遺構が見られる貴重な産業遺産である。
・崩れているものが多いいが、多数の坑道があるという。
・トロッコのある坑道から立坑が掘り込まれている。
・花揚川にある鉱山の取水口は、後に三岳酒造の用水に利用され、現在は町水道に生かされている。
【文献・資料】
屋久町郷土誌第二巻村落誌中
屋久島の地質ガイド 屋久島環境文化財団
平野区里巡り資料
区長他聞き取り